「安心」「安全」の両方のバランスがよく保たれてこそ、快適性を感じることができるのです。

そして、その快適性の中から健康的な幸福感も生まれてくるものです。ninpu2

東洋医学は、人をして「安心」と「安全」の二つが揃った生活を送らせるための処方箋のようなものなのです。

あなたは健康ですか?

東洋医学では、人が「健康でありたい」と思う気持ちを中心に考えます。

健康とは、「健体康心」、つまり、しゃんとした体(健体)とやすらかな心(康心)のことを意味している言葉です。

あなただけでなく誰でも、健康な体と健康な心を持って快適に生活したい、という願いを常に抱いており、これは生きる上での一つの大きな目的でもあります。

ですから、東洋医学は、病気を治癒に導き、さらに健康で快適な生活を実現するための実践を伴った学問と言えるでしょう。

あなたの暮らしは安全ですか?

快適ということは、まず第一に安全でなくてはなりません。

例えば、あなたの住んでいる家がちょっとした風が吹いただけでぐらぐらと揺れるようなものであれば、とても安全に暮らすことはできないでしょう。

一軒のしっかりとした家を造るために建築技術が必要であるのと同様に、私たちが日々を安全に暮らすためには技術が必要です。

技術といっても難しいものではなく、疲れた時には休息をとり、空腹になれば食事をする、病気になれば医者の所へ行くなど、身体の出す基本的なサインに応えることも安全に暮らすための一つの技術です。

また、その身体を包む環境、例えば、身にまとう衣服、口にする飲食物、暮らすための住居といった、衣食住に対する技術も安全に生活するためには欠かせないものです。

東洋医学では「人間は小宇宙である」と見做します。

「身の安全をはかる」というと、自分さえよければそれでいいというような利己的なイメージを抱きがちですが、ここで言う「安全」とは、自分と自分の足元から宇宙まで、という大きなサイクルの中でとらえたものなのです。

行き先の見えない生活をしていませんか

また、安全は安心とワンセットになっていなければ、それは本当の意味の快適であると言うことはできません。

例えば、車に乗っている場合、安全な新車で舗装されたきれいな道路を安全に走っているとしても、その道が知らない道でどこへ続くのかがわからない、となれば少し不安になるものです。

「どこへ行く道なのだろう」とか「この道で正しいのだろうか」などと思いながら走っていたのでは気が気ではありません。

不安にかられながら車を走らせているうちに一枚の標識が現われ、自分の思っていた通りの行き先が表示されていれば、ドライバーはそこで初めて「ああよかった」と安心できるのです。

つまり、標識や看板を見て行き先を確認することによって私たちは予測が可能になるのです。

ですから、安心という言葉の中には「予測可能」と言い換えることもできる部分があります。

人は死ねばこうなる、ということが解っていれば、死ぬことはそんなに恐いことではなくなるでしょう。

どんなに大変なことでも、未来に対する予測が可能になれば、そこにはなにがしかの安心が出て来るものです。

そして、快適な生活とは、「安全」と「安心」の二つが揃って初めて成り立つものなのです。