体表面は、あなたの「いのち」であり「こころ」でもあり、そしてこの空気の部分は私たち一人ひとりの尊厳なのです。

尊厳とは具体的なものです。

例えば、誰かの側へ行き、「触らないからいいじゃないか」と言って、手を肌に触れんばかりに近づけたとしたら、その相手の人はどうするでしょうか。

その人は、きっと嫌がって、絶対に触れられまいとして、その近づけられて来た手を払いのけるか逃げるでしょう。

まだ触れていないのにもかかわらず、他人の手が肌に近づいただけで嫌悪感を抱くということは、そこに「こころ」があるということの現われなのです。

光背を後に従えた仏像は非常に整った形

よく見ると、光背は玉ねぎ状に幾重にも仏像を取り囲こみ、天に向かっているのがわかります。

誰でも玉ねぎを刻むと涙が出ます。amida

科学的には、これは切り口から目を刺激して涙を誘う物質が立ち上ぼるせいだ、ということになっています。

でも、「玉ねぎ型」というのは、あるいは「気」の発散力の強いものに共通した形であると言えるのかも知れません。

本当に、仏像というのは、玉ねぎをすぱっと縦に半分に切った時の切り口に非常によく似ています。

今度、台所に立って玉ねぎを刻むことがあれば、切り口をよく見てみて下さい。

真ん中に仏さまが座っておられ、その後ろに光背が幾重にも輝いているような厳粛な気持ちになります。

ただし、あまり見つめていると、その玉ねぎの仏さまの「気」にあてられて涙が出てきてしまいますよ。

天と地の力を感じる

空気というと、物体に比べて、どこか掴み所のない感じのするものです。

しかし、体に対しては、最大最強で具体的な影響力を持っているのです。

先に、地球という生命体が大気と大地、天と地によって成り立っていると言いました。

私たちもその地球に生まれた生きものである以上、天から、地からの影響を絶えずこの身に受けているのです。

では、その天と地の間にはたらいている力は、私たちの体にどの様な影響を及ぼしているのでしょうか。

ここで一つの実験をしてみましょう。

足を広めに開きしっかりと立って下さい。そして、右腕を肩の高さにぴんとあげ、そのままの姿勢を保って下さい。

まず、右腕の指す方向が東になるように向きを調整します。

そして他の人にその手首の辺りを抵抗感をみるように下向きに数回押してもらいます。

その時には、押し下げる力に抵抗するように腕に力を入れることを忘れないようにして下さい。

そして、90度ずつ向きを変えて行き、同じことを繰り返します。

実際にやってみるとわかりますが、手首は同じ要領、同じ力で押されているにもかかわらず、ある方向になると急に腕に力が入らなくなり、上からの圧力に抵抗できなくなるのです。

天・地・人の結びつき

同じ場所に立ち、ただ腕を伸ばす方向が違うだけなのに、その向きによって力が入ったり、まるで力が入らなくなったりする、ということが実際に起こるのです。

しかし、これは不思議なことではあっても、決してオカルト的なものでも不気味なものでもないのです。

昔の人は、よく「東の方向は旅に悪い」とか「西の方向は……」などと口うるさく言ったものですが、彼らは経験的に、体験的に天と地の及ぼす力を知っていたのかも知れません。

いずれにしても、「方向」という一つの要素をとってみても、そこには確かに人が自身の筋力で感じることのできる影響力が存在しています。

天・地・人は、科学では説明のつかない次元で、大きく深く結びついているのです。

思いのままにならぬは我が心身

普段、私たちは自分の体を自分のものであると当たり前のように思っています。

でも、「体」は、本当に自分だけの体なのでしょうか。

自分だけの体であれば、それは自分の意のままに、どのようにでも操ることができるでしょう。

しかし、実際は自分の思い通りにならないことばかりではないでしょうか。

病気になりたいと思ってそうなる人はいません。

また、怪我をしたいと思ってそうする人もいません。

もし、体が全て自分の思いのままになるならば、この世から病気や災害などはとっくの昔になくなっているはずです。

また、心もそうです。自分の心だから、楽しく嬉しいことだけを思っていようとしても、憎しみや悲しみが次から次へと湧いて来て、なかなか思うようには行きません。

そうなると、体と心は自分だけのものではないということを認めざるを得なくなります。

体と心が関連しているもの、それは天・地に他なりません。

そして、体・心・天・地の運動を見事に、総合的に表現したものが仏像であり、その手の形は方向による力の差を表わしているのです。

いのりの光

私たちの「いのち」の姿は、天と地との関わりの中で成り立っていて、そして、その理想的な姿が光背に包まれた仏像の姿として刻まれているのです。

先に、見ようと思えば人の背中から立ち上る陽炎のようなものを見ることができるのだ、と言いました。

実は、既に人の背後から出る光を測定する機械も作られていて、その結果を見ることによって面白いことがわかります。

普通の人の光背はクシャクシャとしたまとまりのない形をしていて、怒っている時には頭から角が出ます。

また、よこしまなことを考えている時は尻尾があらわれ、昔の西洋人の描く悪魔のような姿になります。

そういう意味で、仏像の形は人間の理想的な姿なのです。

仏像を自分の理想の姿として合掌すると、その人の背中の光背も整ってきます。

さらにそこで、お念仏やお題目を唱えたり、自分か信仰しているものに対していのりを捧げると、その光が見事に輝きを増して来ます。

どうぞあなたも実験してみて下さい。

「いのり」というのは、それほどまでに具体的なものなのです。