「陰陽論」の立場から見た一日を図にしてみれば次のようになります。

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この「太極図」は、韓国の国旗にも使われていますし、誰もが一度は目にしたことがあると思われる有名なものです。

「太極図」は、ご覧の通り陰と陽の模式図ですが、「陰陽論」から見た一日には、全部「陰」の所(0時)から、わずかに明るくなってくる所が“鶏鳴”(2時30分)、「陰」から「陽」へ抜け出た所が“日の出″(6時)、全部「陽」の所が“日中″、そして、再び「陰」へと戻った所が“合夜”と、それぞれ名称がつけられています。

さて、その一日は何時間あるのでしょうか。といっても、一日が24時間であるということは「陰陽論」でも同じです。

しかし、例えば、睡眠時間を8時問とったとすると、目を覚まして活動する時間は24時間の残りの16時間となります。

すると、東洋医学では「一日は16時間です」となります。

眠っている時というのは、存在も場所も時間もその本人にはわかりません。眠りから覚めた時にはじめて、自分はここで何時間眠っていたのだ、ということに気がつくのです。

人の一生は何年?

では、一生は何年あると言えるのでしょうか。

「太極図」に当てはめて考えてみましょう。

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オギャアと誕生するのが“日の出″の所、60歳になり還暦を迎えるのが“日中″の所、そして百二十歳になるのが“合夜”の所で、そこまで生きる人は稀れですから、それで一生はおしまいとなります。

しかし、先ほど見たように、一日24時間の中には活動している時間だけではなく、眠っている時間も含まれていました。

ですから、「一生」という言葉にも、生きて動いている時間の他に、一日における睡眠に相当する時間が含まれて然るべきなのではないでしょうか。

そうなると、180歳が0時の所、そして、240歳で再び“日の出″の所に戻って来ることになり、また、そこで新たに誕生の時を迎えることができるというわけです。

人間は、人によって早く死の時を迎える場合と、長く生きる場合がありますが、結局、それは人によって眠る時間が早かったり遅がったりする程度の差であり、次に目覚める時間までは皆が一様に240歳の一生を過ごすという計算になります。

ですから、一生とは必ずしも生きている時ばかりではなく、その中には生と同じく死して後の時も含んでいるのです。

一日が眠る時間も含めて24時間であるように、皆が一様に240年の人生を生きるのだ、と考えて暮らしてみてはどうでしょうか。

古典に「環の端なきが如し(輪には端がない)」という言葉があります。

これも「陰陽論」の考え方のひとつです。